2009年9月2日に行われたCEDEC 2009の基調講演の概要を紹介。
基調講演を行ったのは、「機動戦士ガンダム」などの監督として知られている富野由悠季氏。表題は「慣れたら死ぬぞ」とし、ゲーム業界で働く、または働こうと思っている人たちに向け、講演を実施。
ここでは、メインテーマ内で語られた話の中で、チェックすべきであろうポイントを掲載。質疑応答の内容に関しては含まず。
なお、文章は、基本は本人の発言を再現しておりますが、間や一部言い間違えを直したりした場合などに関しては、その部分を削除して掲載しています。また、発言全てを載せているわけでもありませんので、あらかじめご了承ください。
「僕自身はどういう立場の人間かといえば、アニメーションの演出か監督か原作であるということで、ゲーム業界を迫害視しておりまして、ゲーム業界に参入できなかったという悔しさを経験にもっておる、というキャリアの者です。」
「僕自身はテレビ漫画の仕事をやるというのはどういうことかというと、テレビが出始めて映画産業が衰退していった。映画の仕事をやりたかったけれども学力が不足していたり、大手五社が新規の求人をやめていた時代なので、テレビ局に入るとか広告代理店に入るとかを求められている時代でした。映画をやりたいと思っていた人間にとってはアニメとはきちんとした映像の仕事が出来ないやつがやるものだと思っていました。そういう時代です。コマーシャルの仕事は二流の仕事だと思われていました。」
「テレビ漫画の仕事をやるのは最下等の人間がやる仕事だったのです。我々の時代は、テレビ漫画の仕事をやることは、我々の前の仕事人からすると、よくそういう仕事をやれるね、と、馬鹿にされる時代でした。」
「我々は映画関係者から映画の作り方、アニメーションの作り方、漫画の作り方を教えてもらいたいなと思いましたけど、基本的に教えてもらえなかった。このことの意味することは、かつて隆盛を極めた産業があったとして、そこに蓄積された技術があったとする。それを次の時代に継承する人があっても良いと思っても、そういう人がいないために、漫画映画というものがどういうものかというのを独学するしかなかったというのが、我々の時代だった。」
「20年ほど前に、電子ゲームというものがあることを知り、それが新しいビジネスシーンになるんじゃないかということも検討が付きます。そういう企画をやってみたい、参入するようになりたい、時代遅れの人間になりたくないと思っていました。」
「この20年間にゲーム業界に参入することができませんでした。まったく何もやらなかったわけではないんです。やってみたけれどもできなかったんです。ある大手のメーカーから呼んでくれませんでしたし、というそういう言い方もあります。」
「こういう場所に立つのは自分としては似つかわしくないと思っていましたし、お招きいただいた時に二度はっきりとお断りしています。三度目に関係者が来てやむなくここに立つことになりました。その時思い出したことは今言ったことです。」
「僕にとっては前の世代の仕事の人が、なぜアニメ関係者に、積極的に映画のことを教えてくれなかったのか、先輩としてやるべき仕事だと思えるのだが、何一つしてもらえなかったことを恨んでもいるし、劣等感にもなっている。」
「電子ゲームという仕事を見ていった時に、いくつか考えることもあったし、参入したいと思った時期はありましたが、迫害視をしていたのは仲間に入れてもらえなかったから迫害視しているのです。みんな誰もやさしくしてくれないし、仕事させてくれないし。」
「今日来たというのは、ゲーム業界からしてみたら、アニメ業界はその前にあった業種かもしれない。現在のゲームは映像の性能を当てにしている状況を見えてきた時に、我々が映画から学ぼうとしていること、映像というものがどのように開発されているのか、仕事の仕方を考えた時に、基本的に同じようなことがあるのではと薄々感じるようになりました。」
「今回、この場所に招聘してくださった方々の発言に、ゲーム業界も30周年経ってしまったんですよね、と。30年というのは非常にいい時間で業界内や組織が固まる時期なんです。そしてその分、いろんな部分で動脈硬化を起こしていって、明日が見えなくなるかもしれない、このままで持つかどうかわからなくなってきた状態。映画に限らずテレビに限らず、おそらく商売一般あらゆる業態に言えることなんです。これを突破するにはどうしなければいけないか、考えなければいけないか、前の時代に経験している人が、次の世代に伝えることは無駄ではないのではないか、ということで来ました。」