「リストラ
~ソフトメーカーの組織改革~」Part4 |
「取り残された問題点」
セガとカプコンの組織改革を見ると、両社にとって今回の改革はそれほど目新しいものではない。むしろ、従来から執られてきた方針を具体的に強化しているだけにすぎないと評価することができる。ならば、これらの改革は果たして、業績悪化の過程で浮かび上がった問題点を完全に払拭できているのだろうか。
例えば、これまでのカプコンは営業部門を十分ではないにしろ活用してきたはずである。だが、2003年3月期に発売した主力ソフトの売上は思うように伸びなかった。「デビルメイクライ2」(計画数166万本・実売数140万本)、「バイオハザード0」(計画数140万本・実売数110万本)など計画を下回ったソフトが多く、家庭用ゲーム部門は大幅な減益になってしまった。
計画に届かなかった原因としては、開発費が嵩んだために損益分岐点が高くなり、結果として達成目標が高くなってしまったことが挙げられよう。それだけを見ると開発部門に全面的な責任があるように思える。しかし、一方では営業部門にも責任があるのではないか。両タイトルとも計画以下の販売本数であったが、目標のほぼ8割は達成しているのだ。販売本数が大幅に未達成であれば、原因はソフトの出来が悪かったことになるのだから、開発部門が全面的に責任を負わなければならない。だが、2割程度の未達成であれば、それは営業部門にも努力不足の側面があったと言えるのではないか。
むしろカプコンの場合、営業部門を積極的に活用していたのだから「目標本数を売れなかった」責任を彼らにも問うべきなのだ。開発に責任を求めるのは簡単だ。現にカプコンは今回の収益悪化の責任を開発部門のみに求めている。だが、営業部門にも「なぜ売れなかったのか」という責任は同時に発生するはずなのだ。それを置き去りにしたままでは「片手落ちの改革」と言われても仕方がない。改革を迫られているのは営業部門とて同じはずなのだ。
問題点をなおざりにして、改革を行っているという点ではセガも同様だ。同社はこの度、開発部門へ権限を集中させる改革を行ったが、この改革を見る限り、依然良いものを作れば売れるという“市場創造型”の思考を変えてはいない。しかし、セガを存亡の危機にまで追い込んだのはまさにこの思考が遠因ではなかったか。
ドリームキャストの失敗や昨年の北米市場での惨敗は、「自社ハードによる新市場の開拓」「セガスポーツというジャンルの確立」という新たな市場を創造するために挑戦した結果である。しかし、どちらも赤字以外に何ももたらさなかった。だからこそ、もう二度と派手な失敗を繰り返さないためにも「思考改革」がまず最初に必要になるのではないか。 確かに従来型の思考を続けていれば、いつかはヒット作に恵まれて莫大な収益を得る可能性もあるだろうが、痛烈な失敗をする可能性も同じように考えられる。セガはもうすでにかなりの傷を負ってきていることを鑑みれば、これ以上、果敢にリスクを志向することはできない。もし失敗すれば、経営危機が再びセガを襲うことになっても何ら不思議ではないからだ。セガは、自社が完全に立ち直るまでリスクを求める思考を棚上げするべきだろう。
しかしながら、そのような問題点を孕みながらも、両社の改革は一時的に成功を収める。というのは、改革の初期段階で行うコスト削減によって、収益性の改善が見込めるからだ。だが、それを見て単純に改革は成功だったと評価することはできない。改革による成果がコストの削減による収益の改善だけでは、組織改革をした意味はないのだ。売上や利益の継続的な成長が達成できてこそ、改革は成功だったと評価することができる。
この度の改革は、両社ともに問題点を内包したままである。失敗する可能性はゼロではない。
参考…「Mainichi INTERACTIVE ゲームクエスト」(おわり)
(ライター:菅井) |
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