「セガの未来
~歴史は語る~」Part2 |
「変化の歴史」
セガは創立以来、何度も合併・被買収などの経験がある。その環境の劇的な変化はセガの未来に影響を与え続けてきた。
セガの前身となる「レメーヤー・アンド・スチュワート」は1951年に設立された。この会社は米軍相手にジュークボックスやスロットマシンを販売するのが主な事業内容であったが、同社はその後「サービス・ゲームズ・ジャパン」に社名を変更、1960年には会社を二つに分割する。これは、分社化することで今後のさらなる発展を狙ってのものである。会社分割によって、日本娯楽物産(販売部門を継承)と日本機械製造(製造部門を継承)の二社が誕生する。
分割された両社は1964年に再び統合し、同じ会社として戻るのだが、それからすぐにゲームセンター運営事業などを営んでいた「ローゼン・エンタープライゼス」を吸収合併し、新会社「セガ・エンタープライゼス」を立ち上げる。新会社誕生から数年後の1969年、セガはアメリカ企業である「ガルフ・ウェスタン」に買収されるが、アメリカゲーム市場の急激な落ち込みが影響し、ガルフ・ウェスタンがセガを手放し、1984年に今度はCSKの傘下に収まることになる。CSK傘下にある状態は今も続いている。
このように、セガは過去に数多くの合併・買収、さらに会社分割までを経験してきた歴史を持つ。だが、そういった環境の変化を巧みに利用し、成長の糧にしてきたのがセガという会社である。
「サービス・ゲームズ・ジャパン」が会社分割により、日本機械製造と日本娯楽物産に分かれたが、製造部門を受け継いだ日本機械製造は分社化によってより一層、開発に力を入れるようになった。その結果、国産初のジュークボックスを作り上げ、海外へ輸出するほどの大きな成功を収める。
その後、両社の統合と「ローゼン・エンタープライゼス」との合併を経て、セガが誕生することになるが、ローゼンとの合併により、現在セガの屋台骨を支えているゲームセンター運営事業を手にいれた。さらに、ゲームセンター運営事業の保有は、セガオリジナルのアミューズメントゲーム機器の開発に傾注する契機にもなった。
セガの経営に大きな影響を与えたのがCSKである。それまでのセガは、事業計画も満足に策定できない会社であった。それを改革し、買収後わずか数年で株式公開企業にまで成長させたのはCSKの力に依るところが大きい。同時に公開企業になったことで、資本力を強化ができ、アミューズメント施設の出店や機器開発に積極的になれたのも重要な成果である。アミューズメント関連事業での大きな成功は、後のコンシューマ事業への積極進出をソフトや資金の面で懸命に支えるようになる。
こうした歴史を見てみると、セガにとって合併・被買収・分割の経験は決してマイナスにはならずに、その多くを後の成長の糧にしてきたと言える。それを踏まえれば、今回予定されているパチンコ・パチスロ機器製造メーカーであるサミーとの統合も、セガの次なる飛躍の一助になると予想できる。統合によってパチスロ関連事業を手掛け、この分野で成功する可能性も、サミーの別な特長を取り込んで大きな成長を遂げる可能性も十分にある。いずれにしろ、セガは経営環境の変化をチャンスに変え、自らの成長に活かす体質を持っている。今回の統合がどんな形になったとしても、セガは必ずや将来の成長の糧にするだろう。
参考文献
(『総合アミューズメントカンパニー“セガ”』 著上田純美礼
メタ・ブレーン 1995)
(『日本のビック・ビジネス 21 任天堂・セガ』 著逸見啓・大西勝明 大月書店 1997)
(『ゲーム戦争 遊びを創造する男たち』 著大下英治 光文社文庫 1996)
(『セガvs.任天堂』 著赤木哲平 JMAM 1992)(つづく)
(ライター:菅井) |
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