「流通改革
~自社流通化の副産物~」Part2 |
「副産物」
ゲームソフトの自社流通化に伴って、ソフトメーカーの利益率が大きく改善されることになる。だが、その副産物も忘れることはできない。自社流通によってソフトメーカー自身も変わっていかなければならなくなるからだ。
ソフトメーカーが利益率向上を狙って自社流通を推進する中で、まったく問題が生じなかったか、と言えば嘘になる。それは「端境期」の問題である。自社の流通網は確かに、利益率の向上に繋がるのかもしれない。だが、常に自社のソフトが間を置かずに発売されるわけではない。自社が抱えている開発部門が制作できるソフトの数にも自ずと限界があるし、クリスマス商戦を狙って年末に発売タイトルが急増する傾向はいまだに変わっていない。だから、どうしてもソフトの発売があまり無い“端境期”という時期が表れる。
仮に、ソフトの発売が少ない、若しくは無い時期があれば、その時期の流通網は遊んだままになるだろう。自社流通を行うためには、小売店などを回る営業スタッフが必要になるが、彼らの人件費はソフトが発売されないからといって無くなるわけではない。流通網を維持するためのコストも馬鹿にならないのだ。下手をすると、ソフトが発売されるときだけは利益率が改善しても、それ以外のときにかかるコストを考えれば、結局流通改革によって得られた利益が失われてしまう可能性も十分にあるのだ。だからこそ、流通網を遊ばせておくわけにはいかないのである。
では、流通網を常に稼動させるためにはどうすれば良いのだろうか。ひとつの方法としては、自社以外のゲームソフトつまり「他社製ソフト」を取り扱うことが挙げられる。そうすることで、ソフトが発売されないような端境期でも流通網の活躍が期待できる。だが、取り扱うソフトが少数では困る。流通網を活かしきるぐらいのタイトル数が無ければ他社ソフトを取り扱ったとしても意味が無いのだ。それなりのタイトル数を確保するためには、当然様々な活動をしなければいけなくなる。具体的には、自社で企画したゲームソフトの制作を他社に委託したり、規模の小さいソフトメーカーから持ちこまれたソフトを自社で販売するなどをして、タイトル数を確保する必要があるのだ。
しかし、そうした行動は“ソフトメーカーの変化”を意味する。つまり「ソフトメーカー」から「ソフトパブリッシャー」への変化である。パブリッシャーとは出版社の意味を持つ。他社ソフトを扱うことによって「ソフトメーカー」はゲームを作る(メイク)だけの存在から、他社が開発したソフトの販売活動(宣伝・営業)なども行う「複合企業」へと変わるのである。直接開発業務に携わることなく新しく生まれたゲームソフトを世に送り出す、というパブリッシャー機能を持ったソフトメーカーは以前から存在するが、自社流通化ほどそれを深化させるものはないだろう。アトラスなどは自社流通の導入と共に『インタラクティブ・コンテンツ・パブリッシャー』を目指すと、はっきりと主張しているのだ。
「ゲームソフトメーカー」は自社流通の導入によって、他社のソフトをも販売するパブリッシャーにもなったわけだが、ではソフトメーカーのパブリッシャー化にはどんな意味があるのだろうか。
(つづく)
(ライター:菅井) |
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