【コラム】「変わり行く任天堂 ~変化に迫られたわけ~」part1 |
「軟化」
スクウェアと約5年の長きにわたって絶縁状態にあった任天堂が、GBA(ゲームボーイアドバンス)へのソフト供給を許可し、業界を驚かせたのは今年三月の話だ。正式には、新たに設けられるスクウェアの関連会社が、開発を手掛けることになっており、スクウェア本体が開発をするわけではないのだが、これは大株主であるSCE(ソニーコンピュータエンタテインメント)に配慮した“言い訳”であり、事実上スクウェア自身が任天堂ハードに供給を再開したと、殆どの人が見ている。GBAへのソフト供給は将来的には、GC(ゲームキューブ)への供給に繋がる可能性が高いだけに、PS2(プレイステーション2)を抱えるSCEにとって見れば愉快な出来事ではないだろう。ただ、SCEにそれを止める権限は無い。彼らはスクウェアの経営に口出しをできる立場にはあるが、スクウェアの方向性をSCE一社の意思のみで決定するだけの株数を有していないからだ。複雑な気持ちを抱えつつも、SCEは認めざるを得ないだろう。
今回の騒動の発端は、任天堂がスクウェアにソフト開発を許したためであるが、任天堂はこれまで、スクウェアの再参入を頑なに拒んできた。スクウェアは供給を再開したいと何度も打診してきたが、『そう簡単ではない。“シェアが上がったからこのハードで出す”という割り切りができる世界ではない』(Mainichi
INTERACTIVE ゲームクエスト キーマンインタビュー 「任天堂副社長 浅田篤氏」
2001)と言って断りつづけてきたのだ。それだけに、今回の決定は、驚きを以って受け止められた。
しかし、任天堂がこのたび見せた“変化”は何もスクウェアにだけではない。任天堂は他のソフトメーカーにも、これまでとは対応を変えつつある。セガとは、共同でソフトを開発しようと試みたり、ナムコ・セガと共に、GCと互換性を持たせた業務用ゲーム機向けの画像基盤を作り上げようとしているのが、その証左であろう。両方の事例は、どちらも今後のGCへのソフト供給をにらんだものである。
かつての任天堂であれば、このような態度をとらなかったはずだ。『任天堂のゲーム機は第一に、ウチが開発するゲームソフトのためにある』(1997年6月27日
朝日新聞)、『どうしても開発したいのならどうぞ』(同)。これが今までの任天堂だった。ある意味、常にどんな相手にも傲岸な態度で接するのが“任天堂らしさ”と言えたのだが、最近はそのようなことはなくなりつつあるように見える。これはなぜだろうか。以前の任天堂であれば、スクウェアの要請には聞く耳を持たず、セガやナムコとはわざわざ一緒にソフトや画像基盤の開発などはしなかっただろう。だが、今回は様子が違っている。任天堂の態度が徐々にではあるが、軟化の傾向を示してきたのだ。
なぜ今になって、対応を変化させたのであろうか。任天堂が変わった理由。その理由をこれから幾つか挙げてみたいと思う。そこから、変わらなければならない任天堂の事情が浮かんでくるだろう。
(つづく)
(ライター:菅井) |
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