【コラム】「拡大路線へ~“飽き”とのあくなき戦い~」Part2 |
「“守り”の失敗」
ゲーム業界は現在、不況であるといってもおかしくはないだろう。2001年3月期のゲームソフトメーカー大手の決算を見ると、赤字に陥っている会社が実に多い。ナムコ・スクウェア・セガ・タイトー・アトラスなどの、いずれもゲーム業界を代表するソフトメーカーであるにもかかわらず、大きな赤字を出している。これは、ゲーム業界の不況のひとつの証拠でもあろう。
こうした深刻な不況下で、手をこまねいていては、それこそ、さらなる業績悪化を招くだけである。各ソフトメーカーのトップはそう考えている。なぜなら、ゲーム業界の歴史がそれを教えてくれているからである。
過去にゲーム業界は何度か危機に見舞われたことがあった。ゲーム業界の不況は、何も今回が初めてというわけではない。その中で、個々のゲームソフトメーカーも何度となくピンチにさらされている。
不況下に守りに入って、却って業績を悪化させた例として、アメリカの「アタリ社」がある。1970年代から1980年代にかけて、アメリカのビデオゲーム業界の雄として君臨していたアタリ社は、80年代途中に深刻な経営危機を迎えた。一般に「アタリショック」(アタリ社の失敗)と呼ばれるこの危機は、非常に興味深い結果を残している。
経営危機の際、アタリ社の経営権を保有していたワーナー・コミュニケーションズは、アタリ社に対し、「攻め」より「守り」の経営方針を執るように指示をした。おそらく、これ以上、赤字を出さないようにするための「守り」の指示だったのであろうが、それは皮肉にも大失敗を招く原因となる。ゲームアナリストの平林久和氏は、ワーナーについてこう語っている。
『まずアタリの失敗という日本語訳(?)はあまり適切ではない。なぜならアタリショックは、ワーナーの失敗が招いたからです。もっと言えば、ワーナー・コミュニケーションズ出身の社長や役員が、傘下のアタリをボロ会社にしてしまった。(略)たとえばワーナー出身の経営者は、社の財務事情が悪くなると新製品開発の一律凍結という、バカげた判断をしばしば行ってきました。社内の綱紀粛正もお得意で、ゲームの作者たちの服装や勤務時間を徹底管理したのも彼らでした。(略)当然、社員たちは経営陣を信用しなくなり、多くの優秀なクリエイターがアタリを去りました。』(「ゲームの大學」
著平林久和・赤尾晃一 メディアファクトリー 1996 55)
こうした守りの戦術を執った結果、アタリ社の業績は、90年代には以前にも増して赤字幅が拡大するようになったのである。この歴史の教訓が意味するところは大きい。なぜなら、ゲームソフトメーカーは業績が悪化している時には、ワーナーのような守りの姿勢を決して執ってはいけないからだ。
ピンチに時こそ、攻めなければならない。アタリとワーナーの歴史はそれを物語っている。(つづく)
(ライター:菅井) |
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